今日は、私が経験した「恐れの超越」について、皆さんにお伝えしたいと思います。これは単なる怖い体験の話ではなく、私の人生観を大きく変えた転機の物語です。
恐怖との遭遇
母が脳梗塞になって、救急車が入って、荒れたエネルギーの家で私が一人寂しくいたせいか、なかなか眠れない夜が続いていました。ラップ音のようなパチっとした音が気になって、何かがいるような気がしていたのです。
そして恐ろしいことに、ある夜中、何かが私を触っている感覚がありました!
「きゃ~~~~っ!!!」
あまりの恐ろしさに、誰かに電話をかけたくなって、アメリカのスピリチュアルのメンターであるジョンヒラノさんに電話をしました。ジョンさんは、「きっとそれは、あなたを守ってくれている天使かもしれないよ!!」と優しく言ってくれたので、そう思うよう自分に言い聞かせました。
異なる視点からの気づき
気持ちをすっきりさせようと、滝を浴びに行ったところ、以前に護摩だきをしてもらった先生に出会いました。その先生は驚くべき言葉を語りました:
「鬼がいるね。見たことも無い鬼。でもね、嫌な感じじゃないのよ。病人がいるうちには、あのくらいのがいた方がいいのかもね。チャクラが開いてくると、そういうのを感じるようになるのよ。」
誰でも通る道だと言う先生の言葉に、少し安心しました。天使じゃなくて、鬼なのですね…。でも「どうしたらいいの?」と聞いたら、先生は深い洞察を示してくれました:
「3つの道があるのよ。 一つは、霊の存在に引っ張られる人 もう一つは、霊が見えることで、満足してしまう人 そして、もう一つは、それを超越しようとする人。」
恐れの超越
その日、冷たい水を浴びながら感じたメッセージは非常に明確でした:
「こんなふうに水が体に痛いほど冷たく感じて、しもやけになりそうでも、心さえ温かければ、心が光輝いていれば、全ては解決する。」
そして節分の日、私は思い切った行動に出ました。豆とエビスビール(なんとなく福の神様のネーミングに惹かれた)を買って帰り、グラスを二つ用意してビールを注ぎました。
「鬼さん、豆は撒きません。つまみにして、一緒に飲みましょう!!乾杯!!」
と、誰もいないのに、まるで目の前に鬼さんがいるつもりで語りかけました。
パチ!ピチ!ドン!ガタン!と音がする度に、「あっ!鬼さん、天使さん、守ってくれて、ありがとう!!」と、ビビりながらもそう言いました。益々音が頻繁にする気もしましたが、気にせず「ま〜ま〜飲んで下さいよ!!」と豆を食べながら、ビールを飲みました。鬼さんと一緒に。
不思議なことに、お酒も回ったせいか、なんだか楽しくなってきたら、あまり音がしなくなりました。そして何より、恐れがなくなったのです。きっと、私の中の恐れを超越できたのだと思います。
哲学的な裏付け
その後、昨年LAでお目にかかった、瞑想を教えてくださった上江洲先生が、たまたま群馬に来るという情報を見つけ、上江洲先生の光話会に参加しました。そのお話にも、同じことを言っていてびっくりしました!
「天罰とか、カルマだとか、人は言うけれど、それは、学習なんです。まだ自分が学んでないことを学ぶ時なんだと思えば、頑張れるんです。それを、カルマだ天罰が当たったんだと、諦めてしまう人、それを、カルマだ天罰だと認めて、頑張る人、もう一つは、それを超越するんだと、自分を信じる人、その3つの道がある。」
同じ三つの道についての教えに深く共鳴し、確信を得ました:
全ての人の中に神を見て、自分の中の光に目覚めれば、全てはうまくいく。
恐れの向こう側にある世界
光話会が終わったら、上江洲先生が遠くから手を振ったので、近くに行って挨拶をしました。先生は私のことを覚えていてくれて、みんなに「LAから来たヨガの先生なんですよ~!」と紹介してくださいました。
先生はさらに「お母さんに、『治らない病気は無い』と心で思いながら、接しなさい」とアドバイスしてくださいました。それも私が聞きたかったことで、先生は全てお見通しなのだと実感しました。
この体験を通して、私は上江洲先生の深遠な言葉の真実を体感しました:
☆肉体存在の目的は、愛の伝導体。 ☆愛するは、愛されるよりも美しく、全てを幸せにする。 ☆愛を得ようとするものは、愛を失い、愛を放つものは愛を得る。 命を得ようとするものは命を失い、命を放つものは命を得る。 ☆一命一体、全ては我であり、我は全てなり。 ☆我は神なり、神は我なり。我と神は常に一体なり。
恐れを超える実践法
この体験から、私は恐れを超越するためのいくつかの実践法を見出しました:
- 恐れに直面する: 逃げずに、恐れと向き合う勇気を持つこと
- 異なる視点を探る: 一つの解釈だけにとらわれず、様々な見方を試してみること
- 意識を変換する: 恐れの対象を敵ではなく、友や教師と捉え直すこと
- 感謝の実践: たとえ理解できなくても、経験に感謝する姿勢を持つこと
- ユーモアを忘れない: 真剣すぎると固くなるので、時には笑いも大切
恐れの本質
恐れは実は、私たちの成長のための贈り物なのかもしれません。恐れがなければ、私たちは快適な場所から一歩も動かず、新しい気づきを得ることがないでしょう。
恐れを通して、私は「私」という存在が、思っていたよりもずっと広大で、多次元的であることを理解しました。物理的な身体や常識的な思考を超えた、もっと深い実在があるのです。
そして最も重要なのは、恐れを超越した先に待っているのは、愛だということ。愛が全ての根源であり、私たちの本質なのです。
恐れを感じているあなたへ。それはただの通り道です。勇気を持って歩みを進めてください。その向こう側には、あなたがまだ知らない新しい自分、そして無限の可能性が待っています。